刀林奨励賞受賞記念「症状改善を目的とした特発性脳幹部出血に対する手術」
刀林奨励賞受賞で七冠達成!
2020年6月19日に刀林会より刀林奨励賞を授与されました。刀林会とは私が所属する、100年の由緒ある歴史を誇る慶應義塾大学外科学教室の同窓会です。今回は2018年7月に「World Neurosurgery」誌から出版された「Surgical Treatment for Primary Brainstem Hemorrhage to Improve Postoperative Functional Outcomes」という私が書いた論文が受賞対象となりました。
綺麗に生まれ変わった新しいナースステーションでの記念撮影
この受賞で国内外合わせて7つ目のタイトル(国内4つ、海外3つ)を獲得することができました。
コロナの影響でオンラインによる授賞式という形式になり初めての経験でしたが、オンラインでのプレゼンテーションだからこそ刀林賞審査委員会及び刀林会員の諸先生方に論文の要旨をじっくりと説明をすることができ、審査委員長からは「素晴らしい研究成果」との評価していただきました。
今回のブログでは受賞論文のテーマとなった「症状改善を目的とした特発性脳幹部出血に対する手術」について書きたいと思います。
脳幹とは?
脳幹とは脳の最深部にある、生命の中枢です。上から中脳、橋、延髄の3つの部分に分けられます。中脳は上部にあり、主に眼球運動を司ります。橋は中央にあり、大きさ2cm足らずですが、を大脳から体の各部分の運動と感覚をつなぐ線維が通ります。また、脳神経の第5番目から第8番目までの脳神経核があり、顔面の知覚や運動、眼球運動、聴力や平衡感覚を司る中枢です。意識を維持する重要な部分(網様体賦活系)もこの橋にあります。
下部にある延髄は、アントニオ猪木の必殺技である「延髄斬り」で有名ですが、このわずか1cmの部分には呼吸の中枢があり、この場所が障害されると自分で呼吸ができなくなってしまいます。これらの脳幹の3つの部分はいずれも生命維持を司る重要な組織です。私の恩師である慶應義塾大学脳神経外科前教授、河瀬斌教授は脳幹部を”No man’s land”、すなわち辿りつくことの難しい場所と表現されていました。それほど脳幹とは手術で到達することの難しい大事な場所です。
特発性脳幹部出血(橋)のCT所見。脳の深いところに脳幹はあります。
脳幹部手術のトレーニング
頭蓋底外科の世界的権威であった慶應義塾大学医学部脳神経外科学教室の河瀬頻教授のもとで脳神経外科医としてのトレーニングを積んでいた私にとっては、脳幹の近傍である錐体斜台部や小脳橋角部、また後頭蓋窩の手術(難しい言葉が並んで申し訳ありません)の際に脳幹を見ることができるので、見慣れたものではありました。しかし、河瀬教授の”No man’s land”という言葉が常に頭をよぎり、手術において安易に操作をしてはならない部分だと考えていました。
そんな自分の既成概念が覆されたのは、ドイツ臨床留学でハノーファーにあるInternational Neuroscience Institute(INI、通称イニー、日本語では国際脳科学研究所)の手術チームの一員として参加してからです。ここは私が若いころからずっと憧れていた施設で、頭蓋底手術と脳幹部手術の領域においての世界的リーダーであるProf. Samii(サミー教授)とProf. Bertalanffy(ベルタランフィー教授)の両巨匠がおります。私は両教授の助手とし、手術に参加しながら脳幹部にアプローチする手術法を学びました。INIで毎日のように行われていた脳幹部手術はそれまでの脳神経外科人生において最大の衝撃を私に与えました。特にベルタランフィー教授からは手術のテクニックはもちろんのこと、どのように脳幹に到達するのが脳神経を傷つけることがないかという手術戦略や基本概念を学びました。そして半年にわたるトレーニングを終え、INIで学んだ脳幹部手術を日本に絶対に持ち帰ろうと決心し、帰国しました。
INI Hannover
脳の形をした特徴的な建物で、ハノーファーの名所です。
INIで気づいたこと
ベルタランフィー教授が手術をした患者さんの経過を見させていただく中で、ある重要なことに気づきました。それは教授の患者は、“術後に症状が改善している”ということです。これが既存の手術と何が違うかというと、現代の脳神経外科手術は「症状を悪化させない事」が一番優先されることであり、「症状を改善させる手術」というのは実は少ないのです。ベルタランフィー教授の脳幹部手術では特に運動機能が劇的に改善する患者さんが多く、今までの自分の経験では考えられない事実でした。この手術は脳幹部出血によって症状を改善できない患者さんにとって、希望の光になるのではないかと考えました。
日本での実践
帰国後、医局の人事にて静岡の病院に赴任になった私は、早速ドイツで学んだ手術の実践に取り掛かりました。まずは脳幹部手術に必要不可欠ながら日本ではすでに廃れてしまった座位の手術をドイツ流に洗練させた半坐位法(Half Sitting Position)を安全に施行できるように手術器械や術中検査を整備し、半坐位法を行うことができるようになりました。
半坐位法(Half Sitting Position)
初めての脳幹部手術は特発性延髄出血の患者さんでした。意識は清明なのに呼吸中枢だけ障害され、覚醒しているにも関わらず自分で意識して呼吸しないと呼吸が止まってしまうという、大変珍しい症状でした。喉からチューブを入れ(気管内挿管)、人工呼吸器をつけないと生きていけない状態で、ご家族ともよく話し合ったうえで、呼吸状態を改善させる目的で手術を施行しました。手術後は人工呼吸器をつけなくても自分でしっかり呼吸することができ、喉のチューブも外すことができ、手術後2週間後には自分で歩くことができるまでに回復し、通常の生活に戻ることができました。延髄出血によって自発呼吸だけが障害されたが手術によって改善したという報告は他に類を見ないために、これを症例報告としてヨーロッパの学術雑誌に英文論文として発表しました。
この経験を基に自信を深めた私は、その後に担当となった脳幹部出血の患者さんを手術し、全例において症状を改善させることができました。文献的にも脳幹部出血の患者さんの症状を改善させる目的で手術をするという論文が今までに存在していなかったために、今回受賞対象となった論文を「World Neurosurgery」誌で発表しました。
Surgical Treatment for Primary Brainstem Hemorrhage to Improve Postoperative Functional Outcomes
この論文は河瀬教授、サミー教授、ベルタランフィー教授の3巨匠の弟子として頭蓋底外科と脳幹部手術を学んだ私だからこそ書けた、自らの最高傑作の論文の一つであると自負しております。またこの論文に対する反響はかなり大きく、世界各国から問い合わせがありました。こうした事実が今回の受賞につながったと思います。
実はこの脳幹部への手術を国内の学会で発表すると、様々なご意見を頂くことが多々ありましたが、私は自分の信念を貫き、自分の目で見て経験してきたことだけを信じました。後に論文として発表し、ある程度のエビデンスとして認識されると、私の意見に賛同してくれる脳神経外科医の仲間も増えてきてくれました。
「症状を悪化させない」≠「症状を改善させる」
脳神経外科手術の今までの歴史を振り返ると
①手術方法を開発して、病変部に到達できるようにする
②合併症を出してでも、病変部を全て摘出することを目指す
③症状を悪化させないように病変部に到達し全摘出を目指すが、ケースバイケースで一部を残すこともある
……という経過を辿ってきました。私が脳神経外科医になったころには②から③への移行期で手術の方法自体はほぼ出尽くし、いかに手術方法を洗練させるかが学会では議論されてきました。すなわち、症状を悪化させることなくどのように手術で病変部に到達するかということが現代の頭蓋底外科では重要視されています。これはガンマナイフ等の放射線療法が進歩したので、無理に病変を全摘出しなくてもよくなったということも影響しております。
しかし、私がこの論文で提唱したのは
④症状を改善させる目的の手術
という今までにない全く新しい概念の脳幹部手術です。
これは「症状を悪化させない」という概念と、似て非なるものです。私はこの手術を救命目的では行わず、リハビリがなかなか進まない患者さんにご家族も含めてよく話し合って納得していただいてから、その後のリハビリを円滑に進めるために症状を改善させる目的で行います。症状が少しでも改善しなければこの手術の意味はなくなってしまうので、症状を悪化させない従来の手術よりも難易度の高いものとなります。
最後のフロンティア
端的に言ってしまうと、現代に存在する手術法で脳のほとんどの部分に到達することができます。その中でも脳幹部は脳神経外科の最後の未開拓地といっても過言ではなく、脳幹部手術の報告や知見がそう多くないのが事実です。頭蓋底外科の技術を駆使でき、また脳幹部への到達に必要な知識と豊富な経験を持つ脳神経外科医はそれほど多くはありません。当クリニックでは病棟オープンに続いて、次世代の理想的な脳幹部手術を実現するために手術室オープンを現在鋭意準備中で、近日中にオープン予定です。また、私の「症状改善を目的とした脳幹部手術」をご希望であれば、当クリニックが提携している近隣施設や、遠方であれば出張手術も行います。セカンドオピニオンも受け付けておりますので、ご相談があればとお問い合わせください。